デス・オーバチュア
第84話「この憎らしくも愛おしい少女」



「……お目覚めですか、タナトス『様』」
目を覚ましたタナトスが最初に見たのは闇が人の姿を取ったかのような女性。
闇色の髪と瞳、漆黒の唇、フリルやドレープが多用され、袖には全てレースが付けられ、細く長いリボンを要所にあしらった黒一色の洋服、頭部にはヘッドドレス、首にはリボンチョーカー、手にはサテンの手袋、ロングのスカートはパニエとドレープで最大限に広げられ、厚手のタイツに厚底でスクエアトゥなブーツ、徹底的に露出を避けたファッションをしていた。
まだ少女と言ってもいい女性は見る者に、可愛らしさ、不健康で退廃的な魅力、そして妖艶な色気を同時に感じさせる。
「……クリスタルバレーで出会った魔族!?」
相手の正体を思い出し、認識した瞬間、タナトスは飛び起きた。
「あまり無理に動かない方がいいですよ。貴方がどこまで覚えているのか知りませんが、手足も心臓も再生したばかりなのですから……」
「手足?……そうだ、確か、私は光輝の槍で四肢を吹き飛ばされ……心臓も貫かれた? いや、だが……それならなぜ生きている!?」
困惑するタナトスを、闇の女は複雑な表情で見つめている。
「詳しく説明して差し上げる気分ではないので簡単に言うと……貴方は、あの御方に生かされているのですわ」
そう言う闇の女の眼差しが少し歪んだ。
瞳に一瞬浮かんだのは憎悪? 嫉妬? 戸惑い?
「……なぜ、私をそんな眼差しで見る? 憎みたくても憎めないモノでも見るような……」
「……フフフッ、なかなか巧みな表現をしますわね。ええ、確かにそのようなモノですわ、わたくしが貴方に抱く感情は……」
闇の女は上品に笑った後、瞳から一切の感情を消した。
冷たい……いや、冷たさも温もりも一切感じられない、深い闇色の瞳。
彼女の瞳は底の見えない深淵の闇そのものだった。
「わたくしは貴方を素直に憎んでしまいたい……けれど、貴方を憎んだら、わたくしは、わたくし自身を軽蔑しなければならなくなる。逆恨みをする愚かな女として……」
「……なんとなく、解った。お前も……さっきの剣の女と……」
「ええ、広義な意味では同じような立場ですわ。貴方も大変ですわね、あの御方に見初められたばかりに、多くの愚かな女に逆恨みされるのですから……」
「…………」
タナトスは何も答えない。
答える言葉を持たなかった。
あの男が勝手に自分につきまとってくるだけで、自分はあの男など何とも思っていない。
そんな『言い訳』の言葉を口にしたくはなかった。
言い訳? それが言い訳に思えるのは、その発言に嘘があるから?
自分はあの男のことを……。
どう思っているのか一言で表現することはできなかった。
愛してなどいない! あの男の口にする愛や好意を信じてなどいない!
あの男が、どういう存在、どういう本質をしているのか、明確な正体が解らない頃から、なんとなく察していた。
だから、自分は今日まであの男を受け入れないできたのである。
「…………」
「もう、貴方も薄々あの御方の正体が解っているでしょうが……あの御方を愛するということはこの世でもっとも愚かな行為……お勧めはしません」
「………………」
「しかも、副賞として、わたくしと北の魔王を敵に回せる特典付きですわ」
闇の女はとても優しげで上品な笑みを浮かべた。
「うっ……」
上品で優しげであるがゆえに、その笑みはとてつもなく怖く感じられる。
「貴方があの御方……わたくしの御主人様を愛した瞬間、わたくしは貴方を憎み、貴方を殺そうとする敵になることを宣言しておきます。それを知った上で、よ〜く考えてください。あの御方の気まぐれな愛を受け入れるのか否かを……魔王クラスの魔族を二人も敵にしても良いと思える程、貴方があの御方を愛しているのか否かを……」
「……解った……」
闇の女は、タナトスの返事に、満足な笑みを浮かべる。
「そういえば、もしかしたら名乗りさえしていなかったもしれませんね。といっても、わたくしには貴方のような個人名は無い。名も無き光喰いの女……魔族達はわたくしをこう呼ぶ、闇の姫君(ダークハイネス)と……」
「……闇の姫君……」
「今は、DARK(ダーク)の頭文字をとって『D』と名乗っています。闇の姫君と呼ぶのが面倒だったら、どうぞお気軽にDとお呼びください」
闇の女……Dの眼差しと声は優しげで好意的だった。
「……D……」
「はい?」
呼んだわけではなかったのだが、Dは呼ばれたと判断したようで、タナトスの次の言葉を待っている。
「……お前は……私が嫌いなのか?」
口にした後、馬鹿な質問だと思った。
彼女は自分を憎みたいと言ったではないか、自分の今後の選択によっと憎むと宣言したではないか。
答えは決まっている、彼女は自分を嫌っているに違いないのだ。
「いいえ、わたくしは貴方が好きですよ、愛していると言ってもいい」
「えっ?」
Dは意外な、信じられない言葉を口にする。
「貴方の容姿、性格、思考、生き方……全てを好ましく思っていますわ」
Dはどこまでも優しげで上品で、その発言には嘘はないように思えた。
「…………」
「……でも、それでも、わたくしは貴方を憎むでしょう。貴方があの御方に愛されているから……。もし、あの御方が存在しなかったら、わたくしは貴方をこの世で一番愛したでしょうね……わたくしとあの御方……御主人様の好みは同じですから」
Dは心底可笑しそうに笑う。
自嘲、自虐、苦笑、全てを含んだ笑みだった。
「D……」
「フフフッ、貴方とこうしてお話するのは楽しい……けれど、そろそろお別れですわね。貴方にはやらなければいけないことがあるはずですよ。わたくしと貴方が戦うのは、ファントムの一件が終わり、貴方が御主人様を愛するようになってから……」
「むっ……?」
よく考えろと言ったくせに、自分があの男を愛するようになるとDは決めつけてる?
「……まあ、正直なところ、先程の接吻を見た瞬間は、反射的に貴方を殺したくなる程の殺意を覚えたり……それを打ち消すためにファントムの誰かを嬲り殺しにして気分を落ち着けようかなどと思ったりして……フフフッ、わたくしもまだまだですわね」
Dは照れ臭そうにボソボソと小声で呟いた。
何か凄く物騒な発言が混ざっていた気がしたが、それよりも聞き逃せない一言。
「接吻!?」
「こうして貴方と直接話してみて、殺意は消えましたわ。フフフッ、やはり、わたくしは貴方が好きですわ……あの御方の次に……」
「いや、あの、D? 接吻というのは……?」
「フフフッ、では、ごきげんよう、タナトス様。常に油断はなさらぬように……真の敵は闇の中で嘲笑うものですよ。わたくしは次の舞台でお待ちしております、御武運を……」
無数の黒い光の羽が出現し旋風のように渦巻くと、Dの姿を掻き消した。



闇の中、ピアノの音だけが響き渡る。
「ふむ、案外、あの少女は癒し系なのかもしれないね」
少年はピアノを弾く手を休めずに、一人呟いた。
「それにしても……姫君にも困ったものだ」
困ったと言いながら、少年の口元には笑みが浮かぶ。
予想外な物語の展開が可笑しかったのだ。
姫君……闇の姫君ことDは最初、タナトスを殺さない程度に痛めつける気だったはずである。
あの接吻を見た瞬間、Dの中に明らかな殺意が生まれた。
その殺意を消すために、Dは本当にファントムの幹部の誰かを八つ当たりで殺そうとさえ考え、実行に起こす寸前で踏み止まる。
踏み止まったというのは正確ではない、ただ単に先を越されて、ぶつける相手を失ったのだ。
赤い錬金術師と黒の魔導師の手によって、誇り高き堕天使は闇の姫君の八つ当たりで滅びるという不名誉な最後を逃れる。
堕天使が消え、他には八つ当たりできるような存在はもう残っていなかった。
仮面の道化師や黒の魔導師や炎の悪魔王は八つ当たりで相手のできる存在ではないし、全てを捧げた少女や全てを賭けようとしている女に手を出すような野暮はしたくない。
「どうせならあの失敗作で憂さを晴らせばいいものを……ああ、獣臭くて近寄りたくなかったのかもしれないな……姫君としては」
少年はクックックッと笑った。
「あの失敗作が消えたら、残るは道化師と復讐鬼……死神の少女よ、君の敵は残りたったの二人だよ……さあ、頑張って終曲を迎えようじゃないか」
少年の奏でる曲もまたフィナーレに向かって加速していく。
「亡霊という名の喜劇にせめて優しきカーテンコールを……」
闇の中、ピアノの音と少年の笑い声だけが響き続けた。






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